チュークに眠る沈船群(Wreck DIVING)

チュークはその昔トラックと呼ばれ日本が実行支配を行い大勢の日本人たちが生活し現地の人たちに日本語教育を施していたそうです。平和な日々は長く続かずやがて太平洋戦争になりこの島で多くの人命や船、航空機が失われこの美しい珊瑚の海に沈み、やがてすべてを珊瑚が覆い隠そうとしています。
現地7日間滞在で18DIVいたしましたその中から代表的な沈船を2つ紹介します。


戦艦大和・武蔵の主砲砲弾と眠る山霧丸
旧日本海軍の輸送船( 134m 6438t)です。 今、山霧丸はチューク(トラック)環礁の秋島の北、最大で34Mの海底に船首を東側に向けて横倒しの状態で沈んでいます。煙突には、山下汽船の「Y」のマークが確認でき、船首右側に大きな爆発で出来た穴がある。ここに、魚雷が命中したものと思われます。この船は前後に5つの船倉があり、その内の1つに戦艦武蔵の砲弾と言われる物がいくつも転がっています。これが、山霧丸の最大の特徴だと思います。

平安丸
特設潜水母艦 155m 11614t
この大型の輸送船は洋上で潜水艦の修理、補充そして乗組員の慰労を提供する船です。船­倉には酸素魚雷や多数の潜望鏡があります。

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朝日新聞の取材記事(2012年トレジャーズ 横田氏)

夏島の沖合いに横たわっています。「平安丸」は、1930年11月24日、日本郵船の氷川丸型貨客船第三番船として竣工、その後は北米のシアトル航路に就航しました。1941年10月には海軍に徴傭され、特設潜水母艦に改造されました。同年12月8日の大東亜戦争開戦後は、潜水戦隊の母艦として活躍しました。同型船であった一番船「氷川丸」と二番船「日枝丸」も海軍に徴傭され、「氷川丸」は病院船に、「日枝丸」も特設潜水母艦にそれぞれ改造されました。氷川丸は生き残り現在横浜で見学することができます。

日本郵船氷川丸


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